株式会社光陽

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ガラスびんの歩み

 いまから1200年余り前のこと、日本は天平文化、聖武天皇の時代、ガラス製の容器は白瑠璃瓶あるいは瑠璃壺と呼ばれていました。 その瑠璃壺が奈良の正倉院に国宝として保存されています。
天平時代のガラスは瑠璃破璃とも呼ばれていましたが、江戸時代になると、それはビードロあるいはギャマンと呼ばれるようになりました。
ビードロはポルトガル語、ギャマンはオランダ語、ガラスは英国名です。

 ガラスの歴史は古く、紀元前4000年より前にメソポタミアや古代エジプトで二酸化ケイ素(シリカ)の表面を融かして作製したビーズが始まりだと考えられています。
火山から噴き出した溶岩がガラス状に固まった天然のガラスは黒曜石と呼ばれ、その昔、石器時代から石包丁や矢じりとして利用されていました。

 紀元前2000年頃には、エジプトや西アジアにおいて、一部の植物灰や天然の炭酸ソーダをシリカとともに熱すると融点が下がることが明らかになりました。そして、これを利用して焼結ではなく溶融によるガラスの加工が可能になったのです。
紀元前1550年には最初のガラスの器が作られ、特にエジプトでは様々な技法の作品が生まれ、宝石とガラスを交換することもあったようです。

 その後、紀元前4世紀から同1世紀のプトレマイオス朝では王家の要求によって高度な技法のガラスが作られ、ヘレニズム文化を代表する工芸品の一つとなりました。
ローマ帝国の時代、宙吹きと呼ばれる製法が紀元前1世紀の中頃にフェニキアで発明されました。
これによって安価なガラスが大量に生産され、食器や保存器として用いられるようになったのです。
ヘレニズム的な豪華なガラスも引き続き製造され、この頃の精巧なガラスはローマングラス(Roman Glass)と呼ばれています。

 5世紀には西ローマ帝国が崩壊、ヨーロッパ大陸のガラス技法は衰退しましたが、ササン朝ペルシャでは一定の高い水準のガラスが7世紀頃まで製造され、中国、朝鮮、日本にその作品が伝来しました。

 ガラスは砂や灰などの原料を1000℃以上の高温で溶融し、冷却・固化するというプロセスで作成されます。
このため、ガラス製作には大量の燃料が必要です。したがって、ガラス工房は各地の森を転々と移動し、その森の木を燃やし尽くしたら次の森を探して移動しました。
ガラス工場が定在するようになったのは石炭と石油を利用するようになってからのことです。

ガラスの主成分は二酸化ケイ素(SiO2)、ケイ砂の多い原料と副成分からなる種々の金属化合物を粉末として混合し、高温で溶融して液体状態としたものを急冷することで製造されます。
使用済みのガラス製品を破砕して、それを原料(カレット)として再利用することもできます。
副成分として加えられるのは、多くの場合、酸化物であるか高温で酸化物となるものです。
主な副成分には、酸化ナトリウム(Na2O)、酸化マグネシウム(MgO)、酸化カルシウム(CaO)、酸化ホウ素(B2O5)、酸化リン(P2O5)などがあります。
遷移金属や重金属の不純物を含むガラスは着色され、色ガラスと呼ばれています。

 ガラス製品が多くなると、細工物と容器類が区別され、陶器製の壺やびん類と区別するため、フラスコという言葉が使われました。
当初は盃もコップもびんもすべてフラスコと呼んでいたようですが、さらに「コップ」「ポットル」と区別するようになりました。
ガラス瓶(びん)やガラス壜(びん)という呼び名はその後に生まれたようです。

 明治の初め頃、ガラス製容器は「フラスコ」「ギャマン」「ビードロ」などと珍重されましたが、やがて舶来のウイスキーやブランデーやワインなど、多種多様なものが輸入され、その空きびんが珍しがられました。
そして、それらの空きびんを買い集めて売る商売が起ったのです。

 日本で始めてビールが生産されたのは明治3年、横浜の山手の通称天沼ビヤ酒と呼ばれていました。今のキリンビールの前身であり、これも当初は樽詰めで売られていましたが、次第に販売取次人が大小の小びんに詰め替えて売り出しました。
明治6年にラムネが流行、ラムネびんが大阪や東京で生産されました。

 ビールびんが国産化されたのは明治22年、東京北品川においてでありました。
ビールは他の物価に比べてかなりの高価格で売れました。そこで各地にビール会社が乱立、販売合戦が繰り広げられたのです。
同時に、ビールびんの需要増により、製びん工場の生産能力が追い付かずに、古びんを回収して使用しました。
そして、古びん価格の低廉さが新びん価格に影響し、さらに製びん能力を制限しました。
この結果、びん回収業の社会的な位置づけが確立したと考えられます。

 一方、日本酒や醤油は、当初は樽詰めで運ばれ、店先での測り売りでありました。
酒や醤油の小売店で、大樽からビールの空びんに移し替えて、びん詰として販売され始めたのが明治30年代の頃です。

 蔵元から直売でびん詰の醤油が出荷されたのは大正3年、キッコーマンが醤油を一升びんに詰めて売り出しました。
やがてびん詰の醤油が普及し、大正14年から昭和初期には樽詰とびん詰がほぼ同程度になっていたようです。
しかし、戦時中には、びんの補給ができなくなり、戦後の昭和23年頃は、樽詰85%、びん詰13%の比率になっていたようです。

 その後、びん詰が急速に伸び、昭和30年代以降にはその比率が80%を超えました。
そして、40年代になると、樽詰は2%程度になり、紙パックやボトル製品などの新容器の開発が盛んになってきました。
ガラスびんが貴重な時代およびガラスびんが不足していた時代は、ガラスびんを回収して古びんを再使用する方策がビジネスとして成立していました。
その後、ガラスびん以外の多種多様な容器が豊富に生まれ、すべてのものが使い捨ての時代になると、古びんや空びんの希少価値がなくなり、再使用という考え方が次第に薄れてきました。
しかし、ガラスびんの生産には、多大なエネルギー資源を必要とし、資源としての古びんや空びんの概念が生まれ、一方で環境保護に対する方策としてのガラスびんなどの資源回収の必要性が高まってきました。
いまやガラスびんはゴミ減量運動と資源の再利用および環境保護と密接に関係し、廃棄物処理法などの社会的な枠組みの中で強制的な新たな取り組みが必要な時代になっています。

 地球にやさしい「3R」は、Reduce(リデュース:減らす)、 Reuse(リユース:再び使う)、 Recycle(リサイクル:再資源化)の頭文字をとった言葉です。
リデュースによるごみの発生抑制、リユースによる再使用、リサイクルによるごみの再生利用の優先順位で廃棄物の削減に努めることが求められてきました。

 さらに、ごみになるものを拒否するRefuse(リフューズ:拒否)、壊れても修理して使うRepair(リペア:直す)、捨てるときには分別するRefine(リファイン:分別)、 本当に必要なものかどうか考えるRethink(リシンク:再考する)、個人として所有せずに借りて済ますRental(レンタル:借りる)、使用後は購入先に戻すReturn(リターン:戻す)、 不用なものを作り直すReform(リフォーム:改良する)、利用できないものは、燃やす時の熱を利用するReconvert to Energy(リコンバート・トゥ・エナジー:再返還する)など、 新たな概念が循環型社会の構築を目指す指標になっています。



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